こおりやま文学の森とは
こおりやま文学の森資料館は、郡山発展の礎となった安積開拓の中心である開成山の地に在ります。
「文学の森」の名称は、開成山の昔の呼び名である「放れ森」からつけられました。
資料館では、郡山ゆかりの作家達の業績を顕彰するとともに、文学への理解と関心を深める場としての役目を果たし、さらには文学を通じ地域文化の拠点となることを目指しています。
施設のご案内
文学資料館
文学資料館では、久米正雄や宮本百合子などの近代文学において郡山との係わりの深い作家達を取り上げ、各人が辿った足跡や創作した作品を紹介しております。
館内には、作家達の原稿や書簡などの文学資料を展示する常設展示室や、他に多種多様な内容の展示を行う企画展示室が設けられ、年間を通して様々な催しを行っております。
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常設展示室
久米正雄をはじめ、郡山ゆかりの作家の原稿や書籍などの資料を展示しています。
また、映像資料も公開しています。 -
体験コーナー
郡山ゆかりの作家の理解を深めるため、パソコンでクイズをしたり、豆知識を見ることができます。
また、郡山ゆかりの作家原作のドラマを音声で聞くことができます。
久米正雄記念館
(旧 久米正雄邸)
1930(昭和5)年に鎌倉の二階堂に建てられた久米正雄邸は、正面から見ると白壁の完全な洋風ですが、廊下を渡りひとたび裏に回れば純和風の部屋がならぶという当時としては非常にモダンな和洋折衷の造りをした建物です。
久米はここを終の棲家として作家生活の後半をここで過ごしました。
こおりやま文学の森資料館のオープンにあわせ、2000年(平成12年)に鎌倉から郡山に移築された久米正雄邸は、久米正雄記念館として公開されることとなり、華麗なる鎌倉文士であった久米正雄の生活の一端に触れることができます。
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小ホール(旧子供部屋)
久米家の一人っ子、昭二君の部屋です。昭二君は1927年(昭和2年)生まれで、生まれた年の年号にちなんで「昭二」と名付けられました。この部屋は、昭二氏が独立して家を出た後、久米正雄が第二の書斎として使っていました。
現在、この大型モニター画面で久米正雄はじめ、ゆかりの作家の映像がご覧いただけます。 -
応接間
応接セットを中心に、久米正雄自慢の絵画コレクション、戸棚にはゴルフのトロフィー、暖炉の上には外国土産の人形などが飾られていました。
西側の窓上には藤棚で、5月になると藤の花があり、見られたものです。この応接間は、接客のためではなく、しばしば編集者が書き上がる原稿を待つための場となりました。 -
客間/茶の間
[客間]俳句好きの久米正雄は、ここ「三汀居」で毎月句会を催しました。また、年に一度、「梅の句会」を開き、戦時下には貴重は創作の場となりました。
[茶の間]真ん中に火燵がきってあり、その卓上が食事場でもあり、また、家族や親しい人々との語らいや遊びの場でもありました。 -
展示室(旧 女中部屋/納戸)
久米正雄が愛用した遺品を展示するとともに、写真や図で幅広い交友関係を紹介しています。
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レファレンスルーム(旧 主婦室)
艶子夫人の居室とし作られましたが、応接セットを置き、玄関脇の応接間が原稿を待つ編集者でいっぱになると、ここも待合室として使いました。
現在は、この部屋で文学関係の雑誌や図書を自由に閲覧することができます。